密室 TALK #4 飯田成一(OXYMORPHONN)

村瀬 俺が成一さんを初めて知ったきっかけはZI:KILLで、中学卒業して高校に上がるまでの間に、D’ERLANGERとZI:KILLを一緒に聞いたのが覚えがあって。

飯田 それぐらいの時期か。中学の頃、音楽は聴いてた?

村瀬 聴いてましたね。中学のときはBOOWYで、その後にツレだったやつがD’ERLANGERを仕入れてきて、その後に自分で見つけたのがZI:KILLだったんですよ。それまでの知ってたバンドだと、どちらかというとベーシストは立ち位置から不動で動かないタイプが多かったんですけど、ZI:KILLのライブ映像を観たときにめちゃめちゃアグレッシブなステージングに衝撃を受けて。ボーカルもギターも食うぐらいな、ステージアクションであったりパフォーマンスをしてて、「この人、カッコいい」って思ったのを覚えてます。

飯田 俺も中学・高校ぐらいの頃に色々聴いたり観たりしてて。やっぱりロックバンドの花形って、日本も海外もボーカルやギタリスト。だけど、自分がベースやるって時に、それじゃなんかイヤだなっていうのもあった。あとは村瀬の世代だとリアルタイムじゃないだろうけど、例えばDEAD ENDのJOEさん辺りが俺らのちょっと上で出てきて「ベーシストはこんな派手にやっちゃっていいんだ!」みたいな、カルチャーショックをすげぇ身近に感じたっていうのも大きかったかもしれないね。

村瀬 あとは成一さんのインタビューを昔から読んでて、THE MODSとかThe Damnedっていう名前がよく出てて、その辺りのパンクであったりロックンロールであったりっていうのにも影響を受けましたね。

飯田 そうそう。男が共感するっていうか、ARB、THE MODS、THE ROOSTERS辺りは好きかな。だけど俺らの世代は逆に何週も廻って、ジャンル関係なく聴いてたんだよね。だからMetallicaとかが出てきたときは「なんだこのバンド!」みたいな。だけどそのちょっと前ぐらい、イギリスの方ではDuran Duranがデビューしましたと。なんかみんなイケメンだなみたいな(笑)。そうすると、このジャンルだから聴く・このジャンルだから聴かないっていうのはそんなになくて、所謂ロックっていう大きな枠で。今はネットでピンポイントで好きなものって調べられるけど、俺らの頃はそういうのがなかったから、知るきっかけって結構雑誌とかで。買ってきて読むと、もちろん自分のお目当てのものも載ってるんだけれども、他にもいろいろ載ってて、見てくうちに興味が出て「ちょっと聴いてみようかな」とか。村瀬もそうかな?

村瀬 俺もまさにそれで、当時はロッキンfとか。ZI:KILLを見たくて買って、でも他のバンドも見ちゃったり。「お、なんだこのバンド、LUNA SEA?」とか。そうやっていろいろ広がってくって感じでした。ZI:KILLの頃は20代前半ですよね。

飯田 ライブをやりだしたのが88年とかだから、俺が19、20歳ぐらいの頃かな。

村瀬 当時、エクスタシー(レコード)に誘ったのは、hideさんですか?

飯田 うん、直接「お前ら来いよ!」っていう感じとは違った気がするけど、hideさんがあっちこっちで「ZI:KILLいいよ」って言ってくれてたっぽくて。しかも、3、4バンドでやるようなブッキングのライブとかにもしょっちゅう来てくれてたし。初めてワンマンやったのが目黒鹿鳴館だったんだけど、それも観に来てくれて「来てくれていつもありがとうございます」って言ったら「なんでそんなこと言うの?俺が好きで勝手に来てるだけだから」と。「カッコいいー」みたいな(笑)。

村瀬 そのあたりの話は詳しく聞きたいですね。

飯田 俺も覚えてる範囲でするとしたらね、ライブやり始めてる内に、どういうきっかけだったのかは覚えていないけど、エクスタシーでスタッフをやってる人と知り合いになって。まだ当時のエクスタシーだから、いろんなバンドがいるっていう状態じゃないときね。それこそ、Xが「Vanishing Vision」を出す出さないとか、LADIES ROOMがシングルを出す出さないとかぐらいの時代。もちろん周りにはX TOKYO YANKEES含め、そういう人たちは周りにはいたんだけれども、いろんなバンドが音源を出してっていうタイミングでは全然ない。俺らは俺らでやりつつ、雑誌とか見ながら「こういうとこから音源を出したいよね」みたいな話をしてて。最初からエクスタシーに決めてっていうのでは全然なくて、例えば大阪の方のレーベルに自分たちのライブ映像を送ったりとかしてたし。だけど、全然音沙汰もないし、そんな甘いもんじゃないよななんて思いつつ。だけど、最初の1年とかでライブをやってく度に動員が増えたりとか、ロッキンfでも小さく記事が載るようになったりとかしてるときに、そのスタッフの人から「直接、YOSHIKIさんのとこに持ってっちゃえばいいじゃん」って言われたんだよね。

村瀬 持ってちゃえばいいじゃんって??(笑)

飯田 うん。「渡せるんだったら渡したいとこなんだけど」って、とりあえずライブ映像を持ってこうと。「埼玉でXが出るイベントがあるから、話を通しとくから持ってきなよ」って言われて。それで俺とTUSKでビデオを持って相模原の方から車で埼玉向かって行ったら、いくつか分かれてた楽屋がXとD’ERLANGERが一緒のところだった。内心、俺とTUSKは「本物のYOSHIKIさん、CIPHERさん」って(笑)。

村瀬 (笑)。緊張しますね、その組み合わせの楽屋。そこで行動に移したからこそ、その後があった。

飯田 それが一歩ではあったのかなと思うけどね。その辺りから、ライブにhideさんとかPATAさんはフットワーク軽く来てくれて。YOSHIKIさんもデビュー前後は観に来てくれてたし。

村瀬 その当時の「CLOSE DANCE」は俺の中でも超名盤で、今でも普通に聴きます。バンドマンでもZI:KILLのフォロワー多いじゃないですか?

飯田 あの時の雰囲気っていうのを踏まえたら、確かにいいアルバムだよね。フォロワーはどうなんだろうね?俺がちゃんとそうだよなって把握できてるのは、Plastic Tree の竜ちゃんとかかな。竜太郎くんは、いかに自分は「CLOSE DANCEが好きか!」と熱弁してたから、そっかありがとうみたいな感じ。やってる側からしたらさ、その先もあって、ロックアルバムとして1番よく出来てるのは「ROCKET」だと思ってるし。

村瀬 良いアルバムですよね。「CALLING」とか「Bad Man」も好きです。KENさんのギターもすごくシンプルっていうか、あんまりエフェクティブじゃなくなって行きましたよね。

飯田 そうだね、確かに。あの頃、みんなが好きで聴いてて、自然に影響を受けてたと思うのは、レニー・クラヴィッツ。ヴァネッサ・パラディをプロデュースした頃で、あの乾いた感じは影響を受けてるなと思った。なんならちょっとパクリだろこれ!みたいな曲もあったりも多分する(笑)。

村瀬 シンプルかつ骨太に変化していきましたよね。そんなZI:KILLは残念ながら解散してしまうんですけど、その後にCRAZEを始めて。あれは誘われて?

飯田 どういうタイミングだったかな…ZI:KILLが終わるあたりの前後にBODYが一瞬あったけどなくなるみたいになって。その頃は本当によくつるんだりしてたから、自然に「やろっか?」みたいになってた気がするんだよな。

村瀬 それまでの関係もありつつなですね。CRAZEは、ボーカリストが常に変わっていきましたけど、それぞれのバックボーンを知ってる俺なんかからすると、最初のあの4人が一箇所に揃ったときは、衝撃がでかかったですね。

飯田 俺もいろんな人の話を聞いてるわけじゃないけれども、最初の4人がいいみたいな人もいればTUSKが入ってきたときがいい人もいるだろうし。それぞれの好みがあるんだよなと思うと、一概に「CRAZEってこういう感じです」とはなかなか言えないよね。名前は一緒だけど、その時その時で違う雰囲気だから。

村瀬 確かにそうですね。CRAZEと自分がやってたdrug store cowboyも、同じぐらいに被ってるんですよ。俺ら2000年デビューで、実はCRAZEとツーマンっていう話がイベンターからあったんですけど実現はせず、俺としてはすごく心残りな思い出なんですよー。

飯田 それやってたら、また面白かったね。CRAZEの最後はTUSKも辞めちゃって、最後のライブはビデオコンサートみたいな感じだったんだけど、1曲だけ3人でっていう。結果、2曲やったんだけど、それを確かYUTAROと石川くんは来てるんだよね。

村瀬 そうでしたね〜懐かしい。のちに第2期と言われてるvezが始まって。成一さんがいるメンツの1発目のライブが池袋のCHOPで、そのオープニング・アクトでTEARS OF THE REBELだったんですけど、あの時はこんなフランクに成一さんと話せてなかったですよね。

飯田 そうだったね。vezに入る前って、俺そんなにフトシと面識はなくて、お互いに存在は知ってるんだけどっていうくらいで。たまたま行ったイベントで、まだ石川くんが弾いてた時のvezが出てて、そこでフトシとちゃんと話したんだよね。当時、vezの4曲入りの音源をもらってて「Black sheep tail」がカッコよくて、その話をしたんじゃなかったかな。

村瀬 本人たち同士はそこまでまだ接点はなかったんですね。

飯田 そう。ちょっと時間が経って、石川くんが抜けました。それはそれなんだけども、俺もいろんな周りの人に「フトシみたいなボーカルとやりたいんだよな」なんて話をしてて。そしたらそれを聞いてかどうか分かんないけど、フトシはフトシで一旦vezが止まり、またやろうかななんて気持ちになった時に「成一くんどうかな?」みたいなことをまた言ってたっぽくて。それからフトシのAKUHとかソロを観に行くようにもなって、なんとなく打ち上げとかの時に「うちのベース」「うちのボーカル」なんて言って、エアバンド的な流れになってて。で、ドラムはYANAさんがいい、ギターもASAKIがいいんだけど、ASAKIが忙しい。話も振ってるんだけど、もうちょっと待ってくれみたいな感じがちょっとあったのかな。

村瀬 それが第2期のvezが始まるきっかけだったんですね。

飯田 そうそう。

村瀬 vezとうちらとの絡みも、一緒にツアーをまわったりとか。思い起こすと数的にはそんなに多くないですけど、ただ一本一本が全て思い出せるぐらい濃かったなっていう。

飯田 そうだね、確かに。

村瀬 なかなかメンバー的にもあんまり上の人に、上の先輩に慕っていくようなタイプじゃぶっちゃけなかったんですけど、vezのメンバーとは全員仲良くできたししてもらったし。フトシさんも成一さんもASAKIさんもYANAさんも、打ち上げをしてて誰とでも喋れるし、そんな存在の先輩ってすごく貴重だったし、それぞれ今もお付き合いはもちろんありますけど、そういう4人だったなって。

飯田 なんだろう。マッチングもよかったんだろうね。バンドとバンドのマッチングっていうかさ、人と人もそうだし。自分で言うのもなんだけど、割とフラットな方だから。年上だから年下だからとかあんまそういうのはなくて。

村瀬 ホントないですよね、成一さん。素晴らしい!!(笑)

飯田 だけど、ことあるごとにツアーでTEARS OF THE REBELって言ってたのは、見ててカッコいいなと思ったし、イイ奴らだしっていうのもあるから、多分そう言ってたんだろうね。

村瀬 そうやって実際に行動にも起こしてくれたし、成一さんライブに普通に来てくれるじゃないですか。ああいうのもすごい嬉しいし。本当に好きじゃないと多分あそこまで来ないし。それぐらい気を許してる中、うちのYOSHIPONが迷惑をかけまして。

飯田 うん(笑)。

村瀬 ベースが弾けないっていう事態に。2月にGuiltyのライブが入ってて、その当日のライブを飛ばしてしまい、周りの人にも大変ご迷惑をかけて。そのあとの自主企画やフトシさんとのツーマンっていう日もあったんで、これはどうしたものかと…。YOSHIPONは弾けないんで、普通に考えてサポートでやるしかないと。その時に名前が挙がったのが成一さんで。

飯田 あれだっけ、石川くん(The BONEZ / BASS)も話に出たんだっけ?

村瀬 そうです。ツアー中で被ってて。成一さんがいいよねっていう結論に達し。

飯田 石川くんも言ってくれてたみたいなんだよね。

村瀬 そうですね。TSUYOSHIも成一さんがいいんじゃないって。周りのアドバイスもありつつ、成一さんにお願いをしたっていう流れだったんですけど。しかもライブの1週間ぐらい前に。

飯田 YOSHIPONの話を聞いたときは、まさか自分が弾くなんて思ってなかったから。だけど、普通に考えたらYOSHIPONはもちろん弾けないだろうから、キャンセルになるのかなって、まさかTEARS OF THE REBELがキャンセルしてフトシのワンマンになる? いやTEARS OF THE REBEL企画だからそれもないなとか、どうすんだろうとは思ってたんだよね。

村瀬 そこに無理を言って、曲を覚えてもらって。

飯田 だって着信が村瀬でさ、基本メールとかでそんな電話する感じじゃないじゃん。「え?村瀬から着信?」みたいなさ。

村瀬 あれは本当に助かりました。俺としては個人的な話ですけど、自分がキッズの頃に聴いていたバンドの人と一緒に音を出せるっていう。YOSHIPONには悪いんですけど、不幸中の幸いでああいう形になって、それは本当言葉にできないぐらい嬉しいっていう思いもあったし。あと実際に一緒に演って、めっちゃベースの音が聞こえたんですよ。存在感もあったし、それはレベルがでかいとかボリュームがでかいとかそういうんじゃなくて、

飛び込んでくる音でした。

飯田 なるほどね。そん時の周りとのマッチングも良かったのかもしれないし。あとは今思うとね、村瀬が言ったように、一旦ちょっとYOSHIPONは置いといて、そういう刺激が与えられて良かったなと思うし。それは先々またYOSHIPONがやるって前提の話だからさ。

村瀬 もちろんそうです。

飯田 ってことは、それを近くで見てるYOSHIPONも当然刺激を受けるだろうしね。

村瀬 1番受けてましたけどね。

飯田 敢えて俺も「絶対、刺激を与えよう」と思ってやったから。1ヶ月の短い間だったけど、自分も刺激があったし。だから本当いつもの5人を楽しみにしてた人には本当悪かったかもしれないけれども。

村瀬 特別ななことをして楽しんでもらえたかなっていう。

飯田 楽しんでくれたらいいなっていうところだよね。そういうフックがあるから、YOSHIPONが戻ってこれからじゃあまたやるっていうときに、またそのままYOSHIPONが怪我も何もなく続いてる状態とは違う、また見え方とかもいろいろあるだろうから。

村瀬 それはありますね。成一さんが残してもらったことは、バンドにとって刺激的だったし、また新しい経験でしたね。ただサポートしてもらって「ありがとうございます」だけではなかった。

飯田 俺も聴いたことないも人たちから「1週間前に来月3本あるんだけど、サポートでやってもらえますか?」ってなったら、もちろんやんないけど(笑)。TEARS OF THE REBELだからっていうのもあるし、あと普段好きで聴いてるからさ。何曲か覚えなきゃっていうときもさ、意外にやりやすかったんだよね。

村瀬 初見じゃないっていうのも大きですよね。あの件に関しては、うちら的には本当に感謝しかないんで。成一さんもついに新バンドOXYMORPHONNが始まって。

飯田 世代とかやってたシーンが全然違う連中だったりするから、刺激はあるかな。俺がなんか言ったりすることに、他のメンバーが「えーそうなんだ」ってもちろん思うこともあるし。その逆も俺にはあるから、それが結構刺激があるかな。

村瀬 俺、正直この間のTEARSの企画に出てもらって、今までの流れをずっと見て来てるんで、成一さんがこういうハードな曲をやるんだ、バンドをやるんだっていうのが衝撃だったし、新しいとこに踏み出すんだなって。

飯田 踏み出してるし、新しい。例えば音作りで、5弦が低い方っって同じABCでいくところも、低いところなのかちょっとオクターブなのかとか、ベーシストとしてまた新しいミッションをやり始めてる気はするかな。それがまた苦じゃないというか、そういうローチューンのものに関して分かんないこともあるけど、例えばHIROMITSUが説明してくれたりとか。ギタリストなんだけど、ベーシストのことも分かるっていうのも面白いかな。

村瀬 いい関係ですね、それ。

飯田 50にしてね。多分、あいつの中でも確信がなければなかなか言いづらいと思うのよ、俺が年上だし。だけどそれを別にあいつもフラットだから、その辺は普通に言ってくれるし、俺もそれを言われて「はぁ?」みたいな感じに全然なんなくて。

村瀬 で、早くも6月に一緒にやりますね。

飯田 そうそう。青山でTEARS OF THE REBELLには誘ってもらったから、TEARS OF THE REBELLはまず声を掛けたいって話はメンバーもしてて。

村瀬 嬉しいっすね。

飯田 他のメンバーの繋がりみたいなブッキングとかも、今後はやってくだろうからそれも楽しみだし新鮮だし。

村瀬 新しいフィールドですよね、成一さん的には。

飯田 あの辺の連中も、バンドがたくさん出るイベントみたいなの結構やってるじゃん。そういうところに50のおっさんが実際に出たりするだろうし。

村瀬 そこも見どころっすね(笑)。

飯田 不器用なりに好きな曲はやれてるのかなとも思うし。だからあとは今後フトシをどう口説くかっていう(笑)。

村瀬 やっぱそこですか。早く演って下さい!

飯田 うん(笑)。ちょっとシーンが違って世代も違ってっていう、俺の中でのOXYMORPHONNの在り方や楽しみはあるけど、同年代とバンドをやるっていうのは、普通の流れでは真っ当な話で。そこで同年代でってなるとね、俺はフトシしか思い浮かばないから。


2019.06.14

OXYMORPHONN presents “MENTAL HOSPITAL”

SHIBUYA VUENOS

Artists
・TEARS OF THE REBEL
・OXYMORPHONN
・SiCX
・Zombie powder

Open 18:00 / Start 18:30

Ticket:ADV.¥2,500/DOOR.¥3,000 [1D別]
https://eplus.jp/sf/detail/2961770001-P0030001